姫路城にブルーインパルスがやってきました。 日本を代表する名城・姫路城は、平成の大修理と呼ばれる大天守保存修理事業が行われ、天守閣内部への見学ができない状態が続いていました。しかし、ついにこのほど修理を終え、真っ白な姿に生まれ変わったのです。 姫路市民待望の姫路城グランドオープンを祝い、航空自衛隊・ブルーインパルスが姫路城の上を飛びます。 今日はその祝賀飛行のテスト飛行が行われたのですが、これはほぼ本番と同等のもので、大変充実したものでした。その様子をご紹介しましょう。 まずは単機による天候偵察が行われ後、演目がはじまります。 5機が5方向に分かれて飛び立つサンライズという演目です。三の丸広場には多くの来場者が集まり、見事な演出に歓声が上がります。ちなみに三の丸広場には自衛官による解説と音楽が流されており、興奮がより一層高まります。 6重の円で桜を形作ります。ただ画角は24mmでもかなり苦しい状況。超広角レンズがあると全部写るんですけどね。 雲の切れ間に青空が広がり、印象的な光景が広がりました。いよいよ明日は本番。どんな姿を見ることができるか楽しみです。 #
by vivid_bit
| 2015-03-25 21:47
| EF100-400mm F4.5-5.6
あけましておめでとうございます。旧年中は多くの人にアクセスして頂きありがとうございました。これからもより一層世界の美しさを広めていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 京都府の最北部、日本海を臨む丹後半島に夕日ヶ浦温泉があります。この温泉は眺めもさることながら、カニ料理の豪華さでも有名で、多くの観光客を集めています。折しも冬の低気圧が来る中で、波は荒く白波を立てて波が押し寄せていましたが、雲の合間から光が差し、波と光のコントラストが印象的でした。 それにしても大きな波です。砂浜にこれだけ大きな波が打ち寄せるというのですから驚きます。現像の仕方という違いはありますが、DP2 MerrillとX-Pro1で全く表現が違いますね。DP2Merrillは独特の表現で荒々しく、絵画的に世界を描き出すのに対して、X-Pro1はとても繊細な描写をします。どちらもそれぞれの良さがありますね。 夕日ヶ浦温泉は全国的にはまだまだあまり知られていない場所だと思いますが、カニ三昧の温泉揃いという実に魅力的な場所です(料金も驚くほど安いです)。ぜひ遊びに行ってみてはいかがでしょうか。 ということで、写真を通じて様々な美しい光景や素敵な場所を、今後も皆さんにお伝えしていきたいと思っています。今年もどうぞよろしくお願いします。 #
by vivid_bit
| 2015-01-01 17:26
| DP2 Merrill
聖地誕生 1858年、貧しい家に育った少女・ベルナデッタ( Bernadette Soubirous )は、ルルドの洞窟の中でまばゆい光に包まれ白い服を着た不思議な女性を目撃し、その出来事が街中に騒動を巻き起こします。その後もベルナデッタが洞窟を訪れる度に、不思議な現象は続いたため、日増しに洞窟を訪れる人は増え、小さな街の混乱はさらに増していきました。混乱の拡大を恐れた検事が彼女を拘禁しようとしたときには、街の人が暴動を起こしかけたほどです。 その女性の正体は分からないままでしたが、ある日ベルナデッタは、その女性から自分は「無原罪の御宿り(むげんざいのおんやどり / 現地方言: Que soy era Immaculada Councepciou / ラテン語: Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae )」であると聞き、神父に伝えます。この言葉は、聖母マリアに関するカトリック教会における教義を示しており、ラテン語どころか標準フランス語すら話すことの出来ないベルナデッタには知り得ない言葉でした。このことから、聖母マリアの出現であると信じられるようになったのです。 不思議な出来事はこれだけに留まりません。女性の言葉を受けてベルナデッタの示した地点からは泉が湧いたのです。治療不可能な難病の人がこの泉の水に浸ったところ、その難病が治癒したという出来事が起こり、カトリック教会から正式に「奇跡」と認定される事例が相次いだのです。この場所は「ルルドの泉」と呼ばれ、病を持つ多くの人が訪れる聖地となりました。ベルナデッタは35歳で亡くなりますが、その死後の1933年に正式に列聖され、ブルゴーニュ地方ヌヴェールのサン・ジルダール修道院で安らかに眠っています。 聖地への旅 ルルドへは、フランス南西部の大都市・トゥールーズから直通の特急列車(インターシティ)で2時間ほどの距離です。直線的な屋根構造が印象的なトゥールーズ・マタビオ駅に入線していたのは、2列+2列で構成されるローカルな雰囲気の車両でした。蛍光灯もなんだか古くさい造りですよね。 トゥールーズ・マタビオ駅を出発すると、トゥールーズの市街地がしばらく続きます。ミディ運河を越え、郊外に出ると急に農地が一面に広がり、路線も曲がりくねりながら進んでいきます。日本の在来線も真っ青のクネクネ度合いで、とてもスピードは出ません。 途中に大きな駅は無く、まさにローカル線といった雰囲気ですが、途中のタルブ駅から西側はTGVが走っているため、駅にTGVの車両が何編成も止まっています。 タルブを出ると、進行方向左手にはピレネー山脈が近づいてきます。美しい山並みに見とれていると、牛が放牧されている草原の真ん中にDHLやマレーシア航空などの様々な機体が目に飛び込んで来ました。中には機首部分が切り取られ、輪切りのようになっている機体もあります。まさにこれは飛行機の墓場ではないですか! 地図を見てみると、タルブ・ルルド・ピレネー空港の北側に当たるようです。タルブ・ルルド・ピレネー空港はルルドへの巡礼者を迎える小さな空港で、チャーター便が多くを占めているそうです。そんな空港の脇に、民間航空機のスクラップを行う工場が併設されているのは何とも不思議な話です。 聖地に行く前に墓場を見ることになるとは思いませんでした。間もなくして列車はルルドの駅に到着します。駅周辺の交通量はわずかで、多くの巡礼者を迎え入れている場所とは思えないほど静かです。山の上にある駅から坂を下り、一旦ホテルに荷物を預けて、ルルドの中心地へ向かいます。 聖域を行く ルルドの中心部には「聖域」(サンクチュアリ)と呼ばれるエリアがあり、規模の大きな礼拝堂が建っています。入口側にはロザリオ大聖堂があり、内部にネオ・ビザンチン様式が、外部にロマネスク様式が複合的に用いられています。冒頭に取り上げたドームは、まさにネオ・ビザンチン様式の典型と言えるでしょう。広い空間を生かし多くの人々が祈りを捧げており、ミサも頻繁に行われているようです。また聖母マリアが出現したとする洞窟の上には無原罪の御宿り大聖堂が建っており、これがルルドの象徴として認識されている建物になります。ただし、遠くからはどちらも一体化しているように見えます。 新しく生まれた聖地ということでもあり、所々に現代的な要素を垣間見ることができます。またX-Pro1とXF35mmのペアが、この雰囲気を忠実に描写してくれます。 聖堂はここだけでなく、なんと地下にもあります(聖ピオ10世地下大聖堂)。横浜大さん橋のような、内部に柱の無い巨大空間が広がっており、2~3万人を収容可能な規模だそうです。大規模なミサも行っているのですが、いかんせんカトリック信者でない(特段の信仰を持ってないですが)私が安易な気持ちで参加するのは憚られるところであり、一旦ホテルに戻ることとします。 ろうそく行列の夜 ベルナデッタが、聖母マリアを目撃したすぐ後から始まった洞窟前のろうそく行列は今も続いており、毎日夜9時に多くの人が列を作ります。様々な国の巡礼団が訪れており、車いすの老人も多く見受けられます。「アヴェ・マリア」と皆で歌いながら列は進みます。 X-Pro1は高感度でも絵が崩壊せず、ろうそくが彩る光景を見事に描き出してくれました。ただ、かなり強めのAF補助光が出るため、皆様を驚かせてしまって申し訳無かったです。(X-Pro1では、その名も「マナーモード」という機能でOFFにできます) 各国の色々な人が一斉に祈りを捧げる姿は、非常に印象的です。暖かいろうそくの光が延々と続き、行列が途切れません。手元の旗やボードを見ているとポーランドなどの東欧圏・旧ソ連圏の方が多いようでした。世界から巡礼者を集めていることがよく分かります。 #
by vivid_bit
| 2014-08-03 18:28
| XF35mmF1.4 R
シグマからのMerrillシリーズの後継となるdp Quattro(本シリーズより小文字のdpが正式名になったようです)が発売されました。実際に手に取ってみると、シャッターを押し込んでからタイムラグなくすぐ撮影でき、DP2 Merrillでは恐ろしいほど待たされた書き込み時間も、dp Quattroではとにかく速く、これはテンポ良く撮影できるマシンだなと感心しました。実際に撮っていないので肝心の絵作りについてはノーコメントですが、とにかく普通のマシンらしくなってきたなというのが直感的な印象です。 一方でMerrillシリーズについては、これほど使い手を選ぶカメラは無いと感じています。マイナスの面もありますが、やはりプラスの面は唯一無二の部分が多く、特に使い込むほどに味が出る描写には毎度驚きがあります。 写真とは元来撮影時に全てをコントロールしきれるものではなかったはずです。フィルムカメラを使われていた方にはよく分かると思うのですが、現像をして実際に上がってきたものを見て、大喜びしたり、驚いたり、がっかりしたり、反省したりというのを繰り返すことで、写真の面白さを学ぶことができたのです。今は今の写真の楽しみがあるのは事実ですが、一方で撮影時に予測できなかった絵作りの提案を与えてくれるカメラはそう多くありません。 その点でDP Merrillシリーズは毎度想像を超える提案があり、こちらの成長さえも促してくれるような力さえあります。 陰の部分が緑がかったり、肌が土気色になったり、なんとも乱暴なところがあるのですが、お前がピンポイントで見せたい部分はこれなんだろ……という提案を逆に食らった感があります。確かに素直な描写ではありません。しかし左腕のピンクのウォッチと右腕の水色のリストバンドの色彩のコントラスト、そして日本人ではあまり見ないような、力強くこんがり焼けた腕のリアル感、大作「カナの婚礼」を取り囲み密集する人々とそのサングラスに映り込む鈍い照明光といい、何とも不思議な魅力のある描写ではないですか。 ちなみにこの絵の反対側にはかの有名なモナリザが掲げられています。(この部屋がルーブル美術館の中で一番混んでいると言っても過言ではないでしょう) そもそも最初にこのカメラに興味を持ったのは、東京・中野のフジヤカメラの店員さんからの「独特な空気感という意味ではDP2 Merrillが面白いですよ。Leica X2なんて目じゃないです。」という一言でした。解像度番長的な扱いを受けるMerrillシリーズですが、個人的には解像度云々というよりも、この独特の空気感とそれによって生み出される驚きの提案力に今も惚れ込んでいます。 デジタルカメラの寿命は短いと言われてきました。確かに非デジタル時代のライカのようなメカニカルなカメラと比べれば、メンテナンス可能な期間等を考えると寿命は短いかもしれません。しかし一方で、一般家電以上にある程度長期に渡って愛用できるデジタルカメラも増えてきたという印象がします。どんなシーンでも使える万能カメラだけでなく、少し独特な絵にチャレンジできるカメラを一台手元に置いておくのも面白いのではでしょうか。 #
by vivid_bit
| 2014-08-03 12:51
| DP2 Merrill
街を歩いていて、パリの街角みたいなカフェや、スペインの街中にあるようなバルを目にする機会が増えました。その度に「お、海外に来ているみたいだな」と思う訳ですが、その店舗だけで「海外」は終わってしまいます。 しかし、関東に住んでいる方であれば、もっと海外っぽい雰囲気を、ある程度の広さをもって味わえる一番の場所がありますよね。
そう……東京ディズニーリゾートです。 ディズニーランドよりもディズニーシーの方が、現実の街そのものが作り込まれている部分が多いので、旅行気分が増してきます。こういう景色を見ていると、イタリアの地中海沿岸に来た気持ちになりませんか? 建物の窓枠、テラス、天井の屋根、煙突など、どこを見ても実際のイタリアの建物のようです。 ディズニーシーのメディテレーニアンハーバーは、イタリアのポルトフィーノ、チンクエ・テッレなどの実際の街をモデルにしたと言われています。街の造り自体がとても精巧に出来ているのはもちろんですが、郵便局を模した建物のちょっとした小物や、海岸沿いの街灯も、どれもが本物のような雰囲気に満ちていて、スナップ写真を撮るのが楽しくなります。 Nokton 50mm F1.5(1世代前)は、ライカMマウント向けレンズながら開放からシャープな絵を写し出す一本ですが、光源周辺に軽くハロが出るので、これが逆に良い味を出してくれています。このレンズはまだ現代的な部類のレンズですが、もっと極端な描写をするオールドレンズを使って、ディズニーシーで写真旅なんてどうでしょうか。とても面白い写真が撮れそうですよね。 アメリカンウォーターフロントへ 個人的にとても好きなエリアが、20世紀初頭のニューヨークを模したアメリカンウォーターフロントの一角です。頭上を高架鉄道が走り、きらびやかな照明が街を彩る様子は、ヨーロッパとは違う新しいクラシックを感じさせてくれます。看板だけを見ていても、古きアメリカに来たかのような雰囲気を楽しめますね。 このエリアは日没から少し経ってから撮影するのがおすすめです。看板と建物の陰影を撮るだけで、あたかも移民に溢れて喧噪渦巻くニューヨークのあの時代がそのまま写っているかのように撮影できます。 マクダックス・デパートメントストアは、ドナルドダックの伯父の世界一金持ちのアヒル、スクルージ・マクダックが経営する百貨店という設定です。世界初の近代百貨店と言われる「ボン・マルシェ」がパリで創業されたのは1852年。アメリカ・ニューヨークでは南北戦争終結(1865年)後に百貨店の出店ラッシュがあり、ブロードウェイ近くに数多くの華やかな百貨店が建てられました。スクルージ・マクダックが最初に財産を得たのは1897年のゴールドラッシュで、その後にこの百貨店ができたということなので、既にある有名百貨店たちに殴り込みをかけた様子がうかがえます(笑) 看板や建物の一部だけをシンプルに撮影すると、本当にアメリカに来たかのような一枚になります。加えて、バックグラウンドストーリーを感じながらのスナップ撮影は、本当に旅をしているかのような気分を味わえますね。 レストラン櫻に見る移民達の暮らし アメリカンウォーターフロントの一角に日本料理のレストランがあります。日本人移民のチャーリー田中が開いたというレストラン櫻です。19世紀から20世紀初頭にかけてのニューヨークは移民の時代でもあり、華やかなブロードウェイとは対照的に、移民達の厳しい生活がそこにはありました。ゴッドファーザーPartIIで、イタリア人移民達が必死に生き残ろうとしていた時代がまさにそうですね。 レストラン櫻は、チャーリー田中が日本人移民の集会所のようになっていた魚市場「リバティフィッシュマーケット」を手に入れ、1905年に日本食レストランにしたというバックグラウンドストーリーがあり、あちこちに漁業・水産業関係の道具、設備が残されています。 アメリカ本土で最も古い日本食レストランとされるのは、日本人漁民の茂田濱之助が1885年にロサンゼルスに開いた「カメレストラン」です。その後、このレストランの開店を契機として日本人街「リトルトーキョー」が形成されたという歴史があるそうです。日本人の集まる場所、そして漁業関係者という点でレストラン櫻のストーリーとも符合するような話で、なかなか興味深いところです。 レストランに描かれた歴史ある雰囲気とは裏腹に、実際の移民の暮らしは大変貧しかったことも忘れてはなりません。 日本でも明治維新後の都市部は衛生状態が悪く、下層民の暮らす地域ほど大規模伝染病が蔓延していたと言います。浅草区田中町では人口1,044人に対して、結核等の肺炎系の病因やコレラ等の腸炎系の病因等の諸死因を合わせると、1年で229人の病死者(1921年)が出ていたとされ(石塚裕道著「東京の都市スラムと公衆衛生問題」より)、地方からの人口の大量流入と、都市スラムでの大量死が繰り返されていました。同じように、最底辺の暮らしを強いられたニューヨーク移民達は、生き残ることさえ厳しい環境だったことでしょう。 懸命に生き抜いた結果がこのレストランなのだと思うと非常に感慨深いですよね。 そう簡単に旅に出ることができないときでも、海外旅行気分で写真を撮りに出かけてみるのもなかなか楽しいものです。歴史の裏側を感じながら、大人なディズニーの旅に出かけてみてはどうでしょうか。 #
by vivid_bit
| 2014-07-21 17:50
| EF135mm F2L USM
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